たまにはまじめに

明日で阪神大震災から15年。
フジテレビのドラマを見た。


当時中学3年生。
こっちも揺れて目が覚めたけど大したことねーやってまた寝て、
起きてニュースを見て衝撃を受けた事を覚えてる。
大したことねーやって思った自分がなんか残念だった。
戦後の映像?って思うような映像がリアルタイムのものだって信じられなかった。
当日だったか後日だったか忘れたけど、現地で取材してるレポーターや
東京のスタジオで放送してるアナウンサーが半泣きだったり泣きながら
ニュースを伝えてた事もあった。
信じられない事だらけだった。


被災者じゃないからあのドラマを見ての感想とかが適切なのかは分からない。
でも良いドラマだったと思う。
印象的だったシーンは、京都新聞での「がんばれがんばれ神戸!」の所と、
山本圭が社説を朗読してたシーン。かなりウルウルきた。
社説にあった「自分が被災しないと本当の被災者の気持ちは分からない」っていう文が
とても印象的だった。確かにそうだと思う。
被災してない人間がどんな事を考えても思っても言っても、所詮は第三者
人の死もそう。身近な人を亡くして初めて人の死っていうものに対面して、
初めて分かる事とか思うことっていっぱいあるんだ。


それから、瓦礫の中から母親の骨を拾う少年のシーン。
実際の少年の写真も映された。
これはウルウルもきたけど衝撃が大きすぎた。
どんな思いで母親の骨を拾い集めてたんだろう。
少年には絶望しかなかったのかな?とか、ただ母親をできるだけあの場に残さない事に
一生懸命だったのかな?とか考えてばっかりだった。


自分も被災者。でも仕事として取材もしなければならない。
葛藤の中の取材。泣きながら押したシャッター。
そんな中で残した記録の意味って、例えば今こういう場で生きてくるものでもあるんだなって。
被災者の人達は忘れる事は無くても、俺達は残念ながら記憶が薄れていく。
もちろんメディアや話に出たときに思い出す事はあるけど。
1枚の写真が、取材の記事が、被災してない人に与える大きなものだと思った。
そして知らない事がたくさんありすぎる。
母親の骨を拾う少年の事を初めて知って衝撃を受けたように、
あの震災には知らない出来事がたくさんあるんだろう。良い事も悪い事も含めて。
そういった知らなかった一部をこうして知る事になって、それについて何かを考える。
受け止め方は人それぞれ違うと思うけど、でもきっとそれぞれが何かを考えるだろう。
大きな意味がそこにある。


そして人間ってつえーなって思った。
あんな壊滅的な状況から15年で今の神戸って、単純に凄いよね。
被災者の人たちがただ絶望するだけじゃなくて前を向いて生きてきた証だと思った。



録画しておけばよかったと思うそんなドラマ。再放送して欲しいな。
明日はNHKで大震災のドラマがあるらしい。
忘れず録画しておこう。